続・御上神社 〜現地訪問記〜
前回、御上神社について考えてみた。
よく考えてみれば、御上神社といえば、俺の自宅から自転車で15分という近所の神社なのである。
…と言うわけで、今回は現地へ足を運んでみた。(「今更かよ!」というツッコミは無しで…)
御上神社は国道8号線と一級河川「野洲川」が交わるあたりに位置し、三上山からみると西山麓に位置する。(地図)
国道8号線沿いには駐車場もあるので車で行っても問題ない。
まず、境内に入る前に駐車場から国道8号線を挟んで向かい側に三上山が見える。
その美しさから別名「近江富士」とも呼ばれる。
大百足はこの山を7巻き半したというのだ。その巨大さが実感していただけると思う。
南参道の鳥居から境内に足を踏み入れると、そこは神域。俗界の雑踏とは無縁かと思えるほど、静まり返っている。
鬱蒼と茂る杜に情報を遮られ、すぐ隣を一桁国道が走っているとは思えない。
参道脇にある手水場で手を清め、日露戦役の際に奉納されたらしい狛犬の間を通り、さらに奥に進むと、立派な楼門がある。
この楼門には、1対の貴人像が安置されている。
これが俵藤太(藤原秀郷)の像であるかはわからないが、弓を携えていることから見ても、関連はあるだろう。
ちなみに、写真では見えないが、左の貴人像の服には龍、右の貴人像の服には獅子(虎?)が描かれていた。
楼門を抜けると拝殿がある。
この拝殿は、重要文化財に指定されており、平安時代の建立らしい。
しかし、先日行なわれた祭礼の影響だろうか、拝殿前のテントが雰囲気を壊しているのが残念。
さらに奥には、本殿。
本殿は鎌倉時代の建立で国宝に指定されている。
その独特な造りは「御上造り」と呼ばれることもあり、社殿と仏堂を掛け合わせたようなイメージを持つ。
ここに祀られているのは、天之御影神(天目一箇神)である。
裏に回ると、裏にも扉がある。
この扉は御上神社が三上山の遥拝所であることの証拠であると言う。この扉を開け放つことで、三上山を拝し、その神威を得ようと言うもの。
しかし、本殿は南向きに立っており、この扉の先(北)には、三上山はない。
どういうことだろうか?謎である。
この先にありそうなのは、琵琶湖に浮かぶ沖島…その先は、湖北の山々?
近くに妙見堂があることから、「実は御上神社は神奈備山信仰ではなく、北斗妙見信仰だったのではないか?」とも考えたが、これだけでは情報が少なすぎる。
今後、調べてみると面白いかもしれない。
本殿の右には瓊瓊杵尊を祀る三ノ宮神社(写真右)と天照大神を祀る大神宮社(写真左)がある。
三ノ宮神社は重要文化財指定されている。最高神・天照大神が孫の隣に申し訳なさそうに、こじんまりと祀られているのが哀れにも思える。
(天津神系の神社ではこういうことが多い気がするのは気の所為だろうか?)
本殿左の若宮神社は伊弉諾尊、菅原道眞公、天石戸別命、天御鉾命、野槌之命の5柱を祀る。
残念ながら、工事中であった。
年内には終わるようなので、来年、もう一度行ってみることにしよう。
ちなみに、発注者が滋賀県知事になってるのは、重要文化財指定をうけており、県の管理になっているため。
楼門の手前まで戻り、東側を見ると小さな摂社が2つ並んでいる。
左が御鍵取神社。天津彦根命と猿田彦命を祀っている。
天津彦根命は天之御影神(天目一箇神)の父親にあたる神で、天照大神の息子でもある。
猿田彦命は天孫降臨の際に道案内をした神で、道祖神とされる。
若宮神社の祭礼である「ずいき(芋茎)祭り」の神事の中で、猿田彦の面をつけて木鉾で突くという動作がある。
右の愛宕神社は、火産靈神を祀っている。
火産靈神とは、火之迦具土神の別名で、イザナギ・イザナミの間に生まれた最後の神である。(この神を生んだ際にイザナミは死亡する)
その名の通り、火を司る神であり、金属を作る際に火が重要であることから、祀られているのであろう。
なお、今回は確認できなかったが、もうひとつの境内社である竃殿神社も火産靈神を祀っているらしい。
この他、参道脇には、「神武天皇遥拝所」と彫られた石碑が建っていた。
神武天皇といえば、初代天皇である。
社記には天之御影神が三上山に降臨したのは第7代孝霊天皇とあるのに、なぜ神武天皇なのだろうか?
これって時系列がおかしくないか?…謎である。
なお、この石碑は東を向いており、杜の樹がなければ、この正面に三上山が見える位置にある。
じつは、こちらが本当の本殿の位置であるのではないだろうか。