御上神社
御伽草子の「俵藤太物語」の原文を読んでいて、不可解な記述を見つけた。
龍宮の女房(乙姫)が俵藤太に大百足退治を依頼する場面での女房のセリフに以下のような表現がある。
元正天皇と申す帝の御時に、日本第二のゐんこの神、彼の湖水の辺三上の嶽に天降らせ袷ふ、それよりをちつかた、かの山に百足といふもの出で来て…(以下略)
口語訳してみると、こんな感じだろうか。
元正天皇の時、「日本第二のゐんこの神(詳細不明)」が湖のほとりの三上山に天下られました。それ以来山に百足が住み着いて…(以下略)
どういうことだろうか?
「日本第二のゐんこの神」の部分が意味不明だが、「日本第二のゐんこの」の部分を「神」に対する修飾語として無視して、単に「神」とした場合、こうなる。
「三上山に神が天下った頃より三上山に大百足が棲むようになった」
これはつまり、「三上山に天下った神」と「大百足」が関連があることを示しているのではないだろうか。
では、三上山に天下った神とは何の神だろうか?
答えは、三上山の麓の「御上神社」の社記にあった。社記によると、孝霊天皇の治世期、天之御影神が三上山に降臨したので、開化天皇の治世期、その子孫である彦伊賀都命が三上祝に命じられ、それ以後、三上山を神の宿る神奈備山として、山頂の奥津磐座にて祭祀を執り行ったのだという。
第7代孝霊天皇と第44代元正天皇とかけ離れた時代の天皇の名前が出てくるが、「古事記」における第2〜9代の天皇は「欠史八代」と呼ばれ創作であり実在しないとされる説が有力であることから、御上神社社記の「孝霊天皇の治世期」との記述は無視しても差し支えないだろう。
では、天之御影神とはどのような神だろうか?
「古事記」によれば、第9代開化天皇の3人目の妻・意祁都比売命との子である「日子坐王※1」の3人目の妻・息長水依比売が天之御影神の娘とされている。
しかし、「近淡海(琵琶湖)の
これでは何の神だか、まったく見当がつかない。
ならば、由緒書ではどのように説明されているだろうか。
天之御影神は天目一箇神と御同神で又は忌火神、二火一水の神と信仰され、火徳水徳の霊威あらたかで山頂を龍王様と呼んでいる。
天目一箇神!?
天目一箇神といえば、「日本書紀」において天岩屋戸の神話で、天照大神を岩屋戸から誘き出すための祭具として刀剣や斧、鉄鐸をつくる役※3を演じている鍛治の神である。
しかも、山頂を龍王様と呼んでいる!?
御上神社が三上山を神体山とする信仰であるから見ても、「龍王様=天之御影神=天目一箇神」と言うことになる。
どういうことだろうか?大百足の正体を探っているつもりが、龍神に行き着いてしまった…。
結局、大百足と龍神は同じモノということだろうか?
ということは、「俵藤太物語」は龍神VS龍神の戦いを描いたものだったのだろうか?
ん?どこかで聞いたことある話だぞ?
そうか!戦場ヶ原の神戦譚だ!!
あの話でも、「大百足」とされる赤城神も群馬の伝承では「大蛇もしくは龍」であった。
これは面白いことになってきたなぁ。
ちなみに、龍神といえば、雨風の神である。
そして、天目一箇神も雨風の神として祀られている神社がある。
三重県桑名にある多度大社の併社「一目連神社」である。
これについても、後日、報告したいと思う。
脚注
※1 第10代祟神天皇の治世期に丹波国に派遣され四道将軍のひとりとなる。
※2 「○○祝」とは、○○の祭祀を司る神官の氏族の名前。
※3 「古事記」において、この役は