大百足vs大蛇in戦場ヶ原
赤城の神は、中禅寺湖を自領であると主張し、大ムカデに姿を変え、一族郎党を引き連れて進軍した。二荒の神は、蛇の姿に変わり、こちらも軍を率いて、迎撃した。一進一退の攻防が繰り広げられたが、上野小川勢の加勢で、赤城ムカデ軍は二荒山麓まで進撃、蛇軍を追いつめた。栃木から東北地方にかけては有名な神話らしい。
窮地に立たされた二荒の神は、常陸の国(茨城県)の鹿島の神から、「奥州の弓の名人、小野猿丸を使え」と、教えられた。
二荒の神は、白い鹿の姿となって、奥州(東北地方)へ行き、小野猿丸を呼び寄せる。(小野猿丸を、万治万三郎だとする伝承もある。秋田県などでは、この万治万三郎がマタギ(猟師)の祖になったとしている)
二荒山の頂上に立った猿丸は、激しく戦うムカデ軍の中に赤城の神を発見し、弓を射た。矢は赤城の神の左目に命中し、ムカデ軍は勝利を目前にして、敗走を余儀なくされた。このときの戦場が、現在の戦場ヶ原であるという。
群馬妖怪民族資料館より引用
ここで登場する赤城とは、群馬県の赤城山にある上野国二ノ宮・赤城神社をさし、二荒とは日光の男体山にある下野国一ノ宮・日光二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)をさす。
百足vs大蛇という構図や百足側が人間の射る矢によって負傷するなど、「三上山の百足退治」との共通点が多い。
俵藤太こと藤原秀郷は下野国の出身であることから、この話が「百足退治伝説」に何らかの関与があることは確かであろう。
追記
群馬妖怪民族資料館のカメカワさんからの指摘で一部訂正しました。
また、「群馬県内に伝わる伝説では、赤城の神は「大蛇もしくは龍」であるとされ、ストーリーも微妙に違っているのです。その例が、「群馬の妖怪と民俗 利根村」のページにある、赤城の蛇神の話です」とのこと。
赤城神社の公式サイトを見ても「赤城と日光の神戦の伝説は、郷土史研究家の調査によりますと、その内容が一方的であること、群馬県内でこの話を伝える所が栃木に接する地域であることなどからの話は下毛野国の話が上毛野国に伝わり、これが広まったものだとしています。」との記述がある。