蓑ヶ坂
二戸商工会さんに許可を頂きましたので、全文引用させていただきます。
蓑ヶ坂
岩手県北端青森県県境に釜沢と言う部落あり。
昔、此の地に、南部一門の小笠原淡路守重清の居城があったところ。さらに北へ数百米行くと、旧国道中の難路”蓑ヶ坂”がある。明治天皇東北御巡幸の砌(みぎり)、大変難儀をして御輦を押し上げ奉ったと言う曲がりくねった急坂。現在、峠の上には明治天皇御巡幸の記念碑がある。
話はずっと昔になる。旅人がこの峠にさしかかると俄に雨風がおこり、何時でも峠の上には新しい蓑と笠が置いてあって、旅人はこれ幸いとばかりにそれを身に着けると、最後には影も形も見えなくなると言うから、村人は不思議な淋しいことの一つとして語り合ってきた。
峠の北斜面に坂から少し下った辺りに、深い林にかこまれた深さ幾百米とも知れない大きな沼があった。岸の老杉の影を映していて、水面は鏡の如く静まりかえり、何となく身の毛のよだつような感じの沼である。誰言うこともなく「あの沼には主が住んでいるそうだ。」と語られていた。
勿論其の姿を見た者はなかったのだが、特に南部藩士で禄高五十石を賜わり、盛岡市内下小路辺りに邸宅を持っている玉山昇と言う武士があった。
或る時南部家から使者として馬で五戸に行くことになり、此の峠へさしかかった。兼ねてより不思議な峠であることを噂に聞いていたので少しの油断もなく、槍をかまえて登って行った。 峠もはや上りつめる迄行っても雨も降らねば風も荒れない。「ハテ変だ、矢張りあれは噂に過ぎなかったのか。」と考えながら行くうちに、坂の傾斜も緩やかになったのでほっと一息。上を見ると実に醜き面相のいたこが降りて来た。「これだなあ。」と気を締めていると馬は急に後退りし、そのまま動こうとしない。いたこは憎々しげに昇の顔を仰ぎ見て「けたけた」と笑った。「己れ、にっくき妖怪奴。」とばかり槍をしごいて一突き突けば「ギャッ」と叫んで姿は消えてしまったが、大事な槍は奪われてしまった。「これは困った。」と思ったが仕方がない。峠を降りて五戸に急いだ。
峠の麓は大雨風で大騒ぎであった。五戸に着くともぐり人をたのんだ。きっと妖怪は沼に沈んだと睨んだからである。
もぐり人は身支度をして沼の中に入った。身体に縄をつけ水に潜った。しばらくすると合図があるので引き上げた。
もぐり人の話の大要はこうであった。「可なりの底までもぐって見ると大きな松の木のようなものがあってその上に苔が生えていて、そのうす気味の悪さは例えようもなかったが兎に角縄を結びつけてみようか」と言うのであった。
好奇心にかられて沼のほとりに集まって来た人々は怖いもの見たさに、力を併せて綱を引いた。沼の面に引き上げられた怪物の正体は、幾百年か年を経た大百足であった。人々はただ唖然としてその大百足を見つめる許りで、暫くは驚きの声すら立て得なかった。この大百足が度々峠に出て蓑笠になり幾多の人々の生命を沼に吸い込んだことか・・・やがて吾に返った人々は、更にその大百足のからだを検べた。胸の急所と覚しきところに槍が突き刺されていた。人々は、玉山昇の剛胆さに感服しないものが、なかったと言う。
話は変わって盛岡の玉山昇の家である。
昇の叔父が書斎で本を読んで居ると、五つになる姪の御蓮がトントンと走ってきた。何のつもりかはだしで庭に下りると庭先の石垣にスルスルと登った。不思議なことをする子供だと思って眼を離さずに見て居ると、登りきるや否や実に醜怪たるいたこの面相に変じケタケタと笑った。叔父は「己れにっくき妖怪奴」とかけてあった槍をば取り「えいっ」と一突き突けば「ギャッ」と叫び声をあげてどさりと下に落ちた。見れば可愛い姪である。叔父は、「しまった」と思い家内の者どもを呼び寄せ介抱に手を尽くしたが何の甲斐もなかった。
其処へ昇が意気揚々と帰って来た。何だか家の中がどよめくように思われ急ぎ足にて入ってみれば、今の如き始末である。「さては彼の大百足に祟らしか」と峠の大百足退治の一件を人々に話した。それを聞いて家内のものどもも驚いた。泣く泣く野辺の送りをすませ、その後神に祀ることにした。
そして其の亡き娘の名を取り御蓮神社と呼ぶに至った何でもそれ以来玉山家では大百足のついた紋を門に立てたと言う。
玉山村の姫神神社の傍に御蓮神社の祠があると言う。
「南部藩士が大百足を退治する。」
ストーリー展開は全くの別物ですが、関連性がありそうな話です。
しかし、なぜ沼の主が大百足なんでしょうか?普通に考えれば、龍神や大蛇とした方が自然な気がします。
実はまだ紹介してませんが、百足神と龍神の神戦があったとされる群馬県には「女人入水伝説」と呼ばれる「大蛇(または大百足)が女性(俵藤太の子孫と思われる)を沼に引きずり込む」という話が残っています。
俺は、この「蓑ヶ坂」の話は、その伝説との関連性があるのではないかと、見ています。
この伝説については、かなりのバリエーションがあって、まだ話の内容が掴めてないのですが、いずれこのサイトでも紹介したいと思います。
なお、この「蓑ヶ坂」の著作者・久保田常治氏は、俺がこの話に興味を持ち、連絡を取ったときには、既に御亡くなりになっているとのことでした。
出来ることならば、いろいろとご教授いただきたい事柄もあったのですが、非常に残念です。
ご冥福をお祈りします。