ムカデ姫の墓
以下、「盛岡の民話」より引用。
■むかで姫の墓
昔、於武(おたけ)の方は、先祖がむかで退治に使った矢の根を持って、 南部家27代利直公に嫁いできました。 於武の方が亡くなったとき、遺体の下の変色した形が、むかでのはいまわる姿に似ていたことから、 「於武の方が持ってきた、むかでを退治した矢の根石の怨念にちがいない」と人々は驚き恐れました。
この奇怪な出来事に利直公は、むかでは水を嫌うことから、堀をめぐらした土手の上に、 石垣でかこまれた墓の建立を命じました。ところが、堀にかこまれた墓地に見事な橋が架けられ、 殿様の渡り初めを待つ夜に、不思議なことに一夜のうちにその橋が壊され、大騒ぎとなりました。 その後、何度橋を架けても、むかでが出て壊してしまいました。 於武の方の墓には、大小のむかでが無数に出て、於武の方の髪の毛が片目の蛇となって石垣の間からはいまわり、 墓守は石の間に鉛を流し込んで防いだともいわれています。
人々は、これらの出来事は矢の根石にまつわるむかでの怨霊のせいだと噂し、いつしか於武の方をむかで姫、 墓地を「むかで姫の墓」と呼ぶようになりました。
むかで姫の墓は、盛岡市の寺院の集まる北山地区、光台寺(こうだいじ)にあります。
え〜っと、ただ「むかで」を検索にかけたら引っかかりました。自分では何も調べていませんのでこれが百足退治伝説に関係あるのかどうか全くわかりません。(汗)
ただ、「矢を使って百足を退治した」という話が日本各地で語られているとは考えづらいので掲載してみます。
しかし、なぜ盛岡なのだろうか…俵藤太の子孫が盛岡に渡ったと言う資料でも出てきたら面白いのだが…
あと「於武の方の髪の毛が片目の蛇となって」っていう記述なんて面白いと思いませんか?まるでメデューサですな。
追記:
この文章を書いた後、「於武の方」は藤原秀郷の子孫を名乗る近江の「蒲生氏」から嫁いだと言うことが判明しました。